下野街道と八幡神社
2016.10/22(SAT)
下野街道と八幡神社 下郷町大字豊成字八幡山5399
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八幡神社
写真;峠を越える下野街道跡の脇にある八幡神社・2016.10/22
歴史の道 下野街道
下野街道は、会津藩が隣国通じる際の本道五筋として幕府に報告した中の一筋で、会津若松城下から日光神領今市宿までの総延長約三ニ里(約一三二km)、道幅二間(約三・八 m)の街道です
*
この街道は、会津から江戸への最短の道として、会津藩を始め近隣諸国の藩主が参勤交代に利用し、あるいは会津藩の年間十万俵にも及ぶ廻米の輸送路として、政治的・経済的に大変重要な役割を果たした街道でした
明治十七年(一八八四)、現在の国道が大川沿いに開通すると、山間を通る下野街道は、一部県道や林道となって利用されましたが、地形上急峻な峠越えの部分はそのまま残されました
町は平成七年度から「歴史の道整備事業」を実施し、下野街道の道程を明らかにするとともに石畳や一里塚、あるいは峠の茶屋跡などを確認し、これらの整備を図ることができました
つづら折りでのぼり下りする峠越えの旧街道は遠い時代に繋がる往時の姿を偲ばせてくれます。江戸時代の鼓動を確かめる上でも、旧街道にゆっくりと足を踏み入れてはいかがでしょう
下郷町
--現地の案内板から--
標識に
←歴史の道(下野街道)
楢原宿に至る
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■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス
下野街道と八幡神社 下郷町大字豊成字八幡山5399
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八幡神社
写真;峠を越える下野街道跡の脇にある八幡神社・2016.10/22
歴史の道 下野街道
下野街道は、会津藩が隣国通じる際の本道五筋として幕府に報告した中の一筋で、会津若松城下から日光神領今市宿までの総延長約三ニ里(約一三二km)、道幅二間(約三・八 m)の街道です
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この街道は、会津から江戸への最短の道として、会津藩を始め近隣諸国の藩主が参勤交代に利用し、あるいは会津藩の年間十万俵にも及ぶ廻米の輸送路として、政治的・経済的に大変重要な役割を果たした街道でした
明治十七年(一八八四)、現在の国道が大川沿いに開通すると、山間を通る下野街道は、一部県道や林道となって利用されましたが、地形上急峻な峠越えの部分はそのまま残されました
町は平成七年度から「歴史の道整備事業」を実施し、下野街道の道程を明らかにするとともに石畳や一里塚、あるいは峠の茶屋跡などを確認し、これらの整備を図ることができました
つづら折りでのぼり下りする峠越えの旧街道は遠い時代に繋がる往時の姿を偲ばせてくれます。江戸時代の鼓動を確かめる上でも、旧街道にゆっくりと足を踏み入れてはいかがでしょう
下郷町
--現地の案内板から--
標識に
←歴史の道(下野街道)
楢原宿に至る
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by mo20933
| 2016-10-22 20:10
| 下郷町