(四)輪王寺宮殿下の御末路

2016.04/04(MON)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 奥羽の巻(第ニ巻)/関東戦史
近代デジタルライブラリー




c0185705_1446095.jpg


--------------------
奥羽の巻(第ニ巻)/関東戦史
【コマ 254】
(四)輪王寺宮殿下の御末路
 彰義隊の戦場より御遁れ給へし輪王寺宮殿下は、鈴木安芸守以下十六名の随員を召されられ、北行の御道程にありけるが、日光口絶たれ、白河口塞がりて、今や会津に通ずるの途なきに至りて、海路より遁れて常州平潟港に上陸せられたり。実に五月二十九日なりとす。
 それ平潟は奥州浜通りの戦線地帯にして、奥羽軍戦守の陣、今や海陸何時攻め寄せらるヽや計り難きより、親王御一行は直に発途、夕暮を俟つて泉藩に御宿陣、翌三十日未明を以て御出発、平町飯野八幡神社に御滞陣あり。社掌飯野盛容直ちに平藩に通達し、軍事局よりの伺候多難なり。茲に於て鈴木安芸守は明六月一日御出発を伝へ、而して平、泉、湯長谷の三藩に対し、警護を命ずる所ありけるが、今や攻防の戦雲奥羽に渡り、白河口の戦闘を見るだに、会津御下向は殊の外不安となりしを以て、奥羽軍事局は平穏の御道を待たるべく、御滞留を奏上するにあり。
 法親王は飯野神社に暫く時期を待たるヽ御事ながら、恐れ多くも御尊体を伺ひ申し奉らば、衣は汚れ、袴は破れ、実に御召替もなき御有様、雨露を忍ぶに漸く纏ひ給ふに過ぎず。かくて六月十六日も、御在陣の折柄、西軍愈北進して平潟口の砲撃あり。十七日も砲声あり。十八日となりて、小名浜には砲弾飛び来る。親王の御憂苦こそ、果たして如何ばかりなりけん。親しく鈴木安芸守を召されて、のたまふらく、予は既に東叡山の落ち武者、遁るヽ苦辛は汝等と共にすべきも、予等が落ちゆく会津は未だ戦争なきや、それ予の前を憚りて機を逸する勿れと、即ち御出発を急がせ給ふ所なりき。然れども安芸守は親王の御紛装より一行の内情に心痛あり。戦陣多端また諸藩に協議の途なく、親王が御不足御不自由の御苦境を目撃するだに、独り心を悩まして過ぎ暮すなり。六月二十日に至れば、平藩に於ては、法親王の御機嫌伺へとして、御菓子一折献上す。親王、いたく御嘉賞ありて、平藩の名代は拝謁
【コマ 255】
を賜はり、それより安芸守に会見、親しく議する所ありき。安芸守曰く、今回の親王御避難は、東叡山兵火の中より邃かの御発途にて、素より充分なる御用意とて是なく、親王には御旅費其他の御缺亡を拝察して、我等今や恐懼(きょうく)に堪えず、今や御地も兵乱と為りては、親王の御尊体も一と先づ会津に移さヾる可らず、軍事多端の折柄申すも恐縮ながら、此際の御準備何卒可然取斗を乞ふと。
 茲に於て藩臣恐縮措く能はず、速かに走つて御準備品を急ぐ、依て平藩老公安藤信正は五百両を献じ、上坂軍事総長以下重臣醵出(きょしゅつ)して、二百両を奉じ、更に刀剣其他の用品を献納して、御出発の準備成れり。此時に當りて、白河口の戦陣奥羽軍の敗勢連りなり、依て六月二十五日を以て、愈御発程と定めらる。
 親王の御一行は西を指して平を発す。時はこれ細雨の候、天地雨露となりて諸川みな濁流となり、四方洪水田畝に氾濫し、諸河はみな舟止めに道は通ぜざるなり。親王の落ち行く先きは会津にと、西に西にと向はせ給ふも、道は崩れ、橋は流れ、路頭に御迷ひ給ふこと幾度となく、かくて日も暮れて天地は暗く、一夜の宿を乞はむとするも家なく、或は山に夜を明かし或は野に旅寝して、谷を亘り、岩を踰えさせ給ひて、漸く阿武隈川畔に達すれば、水は満々として白泡を浮べ、大浪渦を為して逆か巻き、渡舟場は河船をみな陸上して縛り固く、日将に暮れむとして、全く途方に暮れて、川岸を流に添ふて降らせ給ふ。今までは金殿玉樓にあらせられ、土踏む折もなかりし御尊体、ふり返り見て、安芸守は暗涙に咽ひけり。親王、遥かに川を望ませられて、「安芸、汝御苦労なり、若し舟なければ流れのまヽに仙台に往かむ」と 随員を激して崖も渡り岩も越し、藪も通りて、道なき道を踏み給ふ程に、小舟の漂流あるを見て、随員羽瀬彦太郎、依田織江、羽倉綱太郎、堀井吉之助、赤崎安二次、大久保与一郎、市川小市郎、山口朴郎、天野雲平、大岩正明、村上剛蔵、本間勝五郎、山口龍五郎、石川益太郎、菅野喜三郎、山口松三郎等必死を尽して是を拾ふ。親王、随員に曰く、予は東叡山の管領なりし身、永代の実器霊場今や烏有とならば、予も亦一命を捨つべき筈のものなりき、
【コマ 256】
然るを今は此所まで落ち延びしも、やがては、奸臣(薩長藩を云ふ)の手に如何なる辛き目を受くべきぞ、若し、この舟に掉して舟砕けなば、予等は捨つる一命を此所に埋めむ、君し天恩幸に無難なりしなば、是より奥羽諸藩と語らいて、後事を畫せむ、それ生死をこの一隻の運命に委せむと。即ち大浪に葉舟を放つて、波のまに/\に、渦巻く濁流に漂ひさせ給ふ。道中の困苦誰か知らん。渡場の役人は、非常の警報を打つて、捕手を四方に起して、罪人呼はりを為せしかと、親王の御避難と聞きて恐縮汗顔。着して此所は何所と土民に問ひは、安達郡本宮なり。それより中山道に出でヽ会津御着、後ち仙台に御下向と拝承す。宮の激書其他は巻尾附録中に登載せり。

--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
--------------------
慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)
第十一章 輪王寺宮奥羽に下り給う(2013.01/25)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
by mo20933 | 2016-04-04 14:48 | その他>その他 | Comments(0)