(三)上野東叡山の戦 1

2016.03/29(TUE)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 奥羽の巻(第ニ巻)/関東戦史
近代デジタルライブラリー




2016.03/29
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 慶応四年(1868)五月十五日を以て、新政府軍は彰義隊追討の大命を降す(上野戦争)
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【コマ 248】
奥羽の巻(第ニ巻)/関東戦史
(三)上野東叡山の戦 1
 江戸旗本の血盟國、宗家の安否を哀願すれとも、遂に聴き容れられざるに至りて、俄然として其態度を一変し、大同団結して薩長に抗し、以て徳川の屈辱を晴らさざれば止まず。薩長を論難するもの、既に常総に関東に崛起し北陸東山共に兵馬の馳駆する所とはなりて、上野東叡山に籠れる三千の旗本は、こヽに彰義の一戦を交へて、一命を宗家に捧けんと、陣容堂々として、隊旗を北風に飜す。されば徳川旗本の義挙を望み見たる親藩恩顧譜代の諸藩は、竊かに是が声援する所とはなりて、援軍伍々として来り会するに至れり。而して列藩より送れる援軍には、遊撃、歩兵、猶興、純忠、精忠、貫義、旭臥龍、神木、松石、万字、馬勝、浩義、白虎、水心の十五隊其数千五百人、血盟団と相俟つて、江戸市中に横行する様眼前敵無きが如し。されば江戸市中の物論は俄然鼎沸し、洛中の騒動殺気満々として、方今の形勢いよ/\不穏を極めたり。依て追討大総督府に於ては、頻りに解散命令を降して、大に市中の平事を計りけるが。その血盟団に於けるや、一度は主家徳川の安危の定まるまてと答へて之を拒み、二度には宗家の廟堂を離るヽに忍びざる旨を答へて応ぜず、三度には歴代の書冊、記録、寳器等を保護せざる可らずとて命に服せず、かくして幾度の命にも従ふの様子も無く、有繫(さすが)の御大将たりし慶喜も、彰義隊の旗色を望み見て、今や専心力注の謹慎蟄居の状も、却つて人心の疑惑を買ふべきを悟りて、切々妄挙を抑制しつヽ、嘆声を漏らせしも憐れなりき。去る程に、江戸城明渡の期日も来り、同時に江戸退去の時期と為るに至りて、慶喜も今や詮なく、麾下の末路に、深き遺憾を残して、身は御一門の封地なる水戸表にと遁れ行きたり。されば大総督府に於ては、彰義
【コマ 249】
団の輩にして斯の言を左右に托すの所以は、夫れ或は輪王寺宮の在る故なるを察して、法親王をして京都還行を勧むる所ありき。然れども當山の執當覚院と云ふ坊主、頑として容れず。かくて総督府の命令頻発するを見て、隊士は皆戦闘の免れ難きを語り合ひつヽ、東叡山は日々に戦守の陣を固め、隊士は剣を磨き、腕を撫して大道狭しと云はむばかりの活歩、偶々市中に西軍隊士を見るや、或は罵倒し、或は殺害して益々暴威を逞ふするに至る。時適々大総督府に在りては、諸道の援軍急なるに至りて、彰義隊の監視を絶たざる可らざる事情起る。茲に於て、五月十五日を以て、愈彰義隊追討の大命を降し、以て諸軍の向ふ所を定む。
 五月十四日夕暮に及んで、追討の大命は東叡山に降る。されば彰義隊に於ては、一山の周囲は戦備を尽すと雖も、攻防の対戦に臨みては、尚外柵の要を認め、依て之を市民に徴するや。市民は彰義隊の身の上に深く同情し、競ふて金穀木材類を搬出して応援するあり。外柵の固めも今は成りて、臼砲、四斤砲等を始め巨砲を据え付くる至りて、附近の町人老幼一切をして、兵火の間暫く避難を布令す。月、朧ろにして、南風吹きそよく十四日の夜は、市民避難の騒動引きも切らず。此間に於て、東叡山の各部隊は皆部署に就きて、弾を込めて守り明かせば、五月十五日、天、漸く暁を報ず。暁風は細雨を齎して、天地粛々、砲声遥かに大城に起れば、鹿児島、萩、佐賀、岡山、鳥取、熊本、徳島、柳川、砂土原、津、彦根、新発田の諸軍、部署を四方に取りて、押し寄すること、捲土重来も啻(ただ)ならず。
 鹿児島、熊本の諸軍、逸早くも上野広小路に現はれ、大小の砲を聞きて、東叡山南門に突進す。更に岡山、佐賀、尾張の諸軍は、富山、水戸の二藩邸より迂回してまた南門を攻む。それ南門は東叡山の咽喉を為す要害の地、此所を守るは、血盟の彰義隊を始め万字、神木、浩気の諸隊を以てし、而して南門より穴稲荷門に亘りて戦守を張る。砲弾爆発天地を破り、彼我の硝煙陣を覆ふて四顧瞑朦、此間飛丸は往行して隊士の殪るるもの数を知らず。然れども彰軍の陣は高きに在りて、常に俯瞰に地位を保ち、接戦益々猛烈を極むるも、防戦奇効を奏し、更に歩兵隊の来つて、射撃を援護するに至りて、西
【コマ 250】
軍今や進むに途なし。依て広小路に巨砲を配置し、猛烈なる砲撃を以て対峙す、此時に當りて、その鳥軍は、湯島台なる天神の別邸に在り。遥かに南門の味方敗勢を見て、忽ち火を放つて四方の民舎を焼き、黒煙地に靡きて四顧溟朦なるに乗じ、中町の裏に進みて、不忍池の地畔に現はれ来る。彰軍、遥かに杉森の中より是を望み、巨弾を込めて俯してその到るを待つ。忽然起る彰軍を砲声猛弾連続して鳥軍の陣を砕く。鳥軍、愕然其為す所を知らず、死傷を捨てヽ広小路に走れり。茲に於て、南門口の西軍は大呼□突して、砲を発して躍動す。彰軍山王台の砲陣は今や百弾を送りて、四方を撃つ。南門の彰軍益々勇を鼓舞し、大に西軍撒兵の陣に弾丸を雨注す。砲声天地を衝き硝煙漲りて人色を辨ぜず、戦闘激烈となりて互に死傷あり。山王台の巨門益々猛烈となりて、西軍進む能はず、百歩を退きて是を防ぐ。時しも津軍は竹町の方面より進み来つて、山下に逼り、酒樓に登りて座敷の中に兵を配り、簾の中より銃口を並列して、山王台を狙つて、一斉に弾丸を雨注す。彰軍堅□撒弾を込めて大に津軍を攻む。山王の彰軍より打ち出す巨弾は、轟然天空に鳴り、悽声を発して酒樓に命中すること数発、爆裂飛び揚りて火災起り、焔裀矇々渦き起りて、満目凄惨たり。津軍、最早戦ふ能はず、隊士混乱して、煙りの中より漸く身を以て遁る。
 その谷中門に・・・
( 2へ続く)
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)
上野東叡山旗本の血盟(2016.03/27)



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by mo20933 | 2016-03-29 16:03 | その他>その他 | Comments(0)