(一)白河関門の戦 1

2016.03/23(WED)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 奥羽の巻(第ニ巻)/奥州白河口戦史
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 慶応四年(1868)五月一日、白河口攻防の大激戦は西軍(新政府軍)が勝利したのだが、白河の回復を図ろうとした同盟軍との間に、戦闘はなお七月中まで続いたと云う
カテゴリ;>戊辰白河口戦争記
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奥羽の巻(第ニ巻)/奥州白河口戦史
【コマ 259】
(一)白河関門の戦 1
 白河は奥州街道の関門地にして、山と川とに依りて自然の要害を為し、世に云ふ守るに易き攻むるに難き白河城は、駅街を南にして、峨々として此所に聳立す。戊辰も浅き春の東北の天空は、俄然として、かき曇り、奥羽列藩が、固き同盟の下に、愈西軍に抗すべく、今や共同作戦の陣を敷き、以て守殊防戦の心力を尽して、勝敗を此要害の与奪に堵せんとせるは、また深き所以の存する所たり。
【コマ 260】
 元来、白河城は阿部氏十万石の居城にてありけるが、慶応三年に至りて、城主、棚倉に移封となりて、今は二本松藩の預り也。されど慶応四年の今日城郭には主人無しと雖も、戊辰事件の惹起するに及びて、会津が裏面の主人役、即ち会津が国境を守るには、白河に厳備を張らざる可らざるは勿論、今や奥羽諸藩の共通利害の上より見るも、敵を白河関門に入れざるが、聊も大勝の基礎なり。茲に於て、会藩家老西郷頼母、白河関門の総督将と為り、仙藩白石城主片倉小十郎、奥羽軍の総参謀と為りて、関門の厳備いよ/\整ふ かくて白河を守るものには、会津、仙台、ニ本松、棚倉、石城、相馬、福島 三春、守山の諸軍にして、白河口の力戦、それ西軍を一呼に屠らむと、総軍に志気昇天の慨(がい)あり。
 四月二十五日も夜は深くして、徳川脱藩残党数百人、彰義隊軍監吉村要人介と共に、江戸街道を落ち来るあり。然るに是を追撃せる土州、薩州、長州 大垣の諸軍は、逸早くも坂口及び九番町附近に来りて、此所に夜営の陣を張るに至る。茲に於て、総参謀片倉小十郎、諸将を会し戦守を議して曰く、我軍、白河の戦争は愈切迫したり。凡そ初陣の勝敗は、常に全軍の志気を左右す。然らば我軍是を傍観して、敢て敵の襲来を受くるより、我より進みて、敵の一膽を潰すに如かしと。即ち会津幷に脱軍を進めて、翌二十六日、突如として西軍の営を攻む。西軍狼狽、隊士は恟々として、戦守の砲を発せしかと、奥羽軍の勇猛には當可らす。接戦一敗五里余を退きて、芦野村方面にと其影を歿す。
 白河の初陣、砲声四方に鳴動し、以て西軍の襲来を報ずるや。棚倉家老平田弾右衛門、大兵を擁して界の明神社内に陣を固む。此時に當りて、西軍の主力は既に宇都宮を発し、芦野村に到達す。薩州、長州、土州、大垣、因州 館林、黒羽、彦根、忍の諸軍、奥羽の大空を望み見て、意気揚々昇天の慨ありと云ふべし。されば奥羽軍は、南旗宿の嶮に依り、巨砲を連発して是を防ぐ。然れども西軍大勢の陣は、百砲を放つて四方より進み、砲戦二十八日より起りて、二十九日に終る。其間戦闘昼夜止まず。此間に於て、西軍の鋭鋒は、いよ/\白河城の突破に、全力を注ぐに至る。依て大垣、黒羽、館林の
【コマ 261】
諸軍は、小鹿山の麓を迂回し、南湖を進軍して、棚倉本道に現はれ。土州、因州、彦根、忍の諸軍は、白坂口より左折して、黒川村方面に来る。蓋し黒川より進みて、原方より突入するにあり。奥羽軍は是を望み見て、南旗宿の陣に不安を来せしかば、茲に於て、旗宿を退き、城を顧みて本道を扼守す。西軍、南旗宿の空虚を衝いて、薩州、長州、大垣の諸軍を進め、而して九番町の近邑に逼(せま)りて疾風迅雷、勢ひ甚だ熾(さか)ん也。されば仙台、会津の諸軍は、是を本道に防戦し、その棚倉、石城、相馬の諸藩は、棚倉口に在りて是を扼守し、二本松、会津、福島、脱藩の諸軍は、原方口に在りて、必死を尽して頑守し、彼我の戦闘益々猛烈を極めたり。
 五月一日、本道白坂口関門に當つて、西軍の突進するあり。依て瀬上参謀は、仙台を督して本道に進み、会将一柳四郎左衛門は、会軍を率ゐて原方口に防戦す。須臾(しゅゆ)にして、仙将坂本大炊は、仙軍を督して会津街道の陣を保ては、西軍、白坂及び原方のニ道に進み、巨弾を以て是を壓迫(あっぱく)しつヽ、突進愈猛烈なり。奥羽軍、殊守して弾丸雨注す。激闘酣(たけなわ)となり、西軍主力は轉還し、兵を分ちて三道より迫り来る。その七曲村より進む西軍は、小丸山に向ふものにして、黒川口の西軍は立石山に来るものとし。更に一軍は西三坂山及び大坂山を攻むるものとす。惟ふに小丸山口は西軍の接觸甚だ近く、会将大沼権兵衛は九番丁に虎視し、純義隊長西村人要介は稲荷山に進み、棚将工藤庄左衛門は登り町を固め、更に阿部半右衛門、小川次郎、中野市蔵等の棚将は金比羅山及び大松坂を據守す。而してその西村場は如何と云ふに、天神山及び水神原は会軍是を守り、その立石山は仙軍の固むる所たり。
 さる程に、下黒川口に在りし西軍は、早くも立石山に迫りて、攻勢頗る猛烈を極め、為めに仙軍の凡ては見る/\瓦解して、遂に西軍の奪う所となりて、此所に屈強なる砲陣を置かるヽに至る。茲に於て、西軍は益々勇を鼓舞し、巨弾を以て天神山を連撃しければ、飛弾は新町裏登り町等に落下して、爆音百雷の如し。会将一柳四郎左衛門、同横山主悅、仙将瀬上主膳、棚将工藤庄左衛門等は必死を期して防げども、俯仰の陣形その及ばざるに、苦戦大敗して天神山も侵奪せらる。茲に於て、会軍は米村口に潰走し、仙軍は九番
【コマ 262】
町に逃げ迷ひ、西軍の逆撃に殪るヽもの数十人、棚将阿部内膳、立石山の敗戦に憤激措く能はず、純義隊副長渡邊網之助と共に合戦坂に進撃せんとして八龍神に達せば、遥かの山上東南一帯の地には、薩州、長州、大垣の諸軍は忽然大小の砲を発して、陣形頗る頑強なり。棚軍大砲隊長吉田國之進、榴弾を込めて連撃すれば、砲弾見る/\敵陣に爆発して、味方の意気を鼓舞すること甚だ大也。龍争虎闘、烈戦相當りて奥羽軍有勢にあり。茲に於て、
( 2へ続く)
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--
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慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史(目次)(2016.02/22)



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by mo20933 | 2016-03-23 09:33 | その他>その他 | Comments(0)