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(三)千代ヶ岡の追落

2016.02/21(SUN)

慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史 蝦夷の巻(第三巻)/五稜郭の包囲総攻撃
近代デジタルライブラリー




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蝦夷の巻(第三巻)/五稜郭の包囲総攻撃
【コマ 479】
(三)千代ヶ岡の追落
 西軍の贈りし酒五樽は隊士の前にあり。榎本、隊士を集めて云ひけるは、諸士よ、敵は我軍に酒を贈れり。我軍今にも如何に終るや知る可らず、然らば互に死別の盃と為らすとも保し難し、夫れ宜しく飲むべしと。然れども諸将は是を目して、毒酒と思ひ定めて、大に怪むで手を出す者なし。時に星忠狂は大言して曰く、味方は是一郭に既に死を決せり、敵の贈りしもの尚勅命に懸れり、天恩、何ぞ毒酒を以て窮兵を害するの理あらむ、然らば我先きに試みむと。而して石を以て樽を割れば、芳味滔々たり。星、大椀を以て数盃を傾け、而して是れ真の美酒なりと。榎本、松平等是を望み見て、大に笑つて而して呑む。
 かくて十六日も夜に入りて、霹靂天地を震蕩して巨弾来る。即ち西軍艦隊の砲撃は開始せられたるなり。されば五稜郭に於ては、表裏の城門を固むるに地雷火を埋没し、守護、中島、大砲の諸隊を以て、益々千代ヶ岡の要害を固むるに至る。忽ちにして西軍の大勢は、七重浜及び桔梗野より攻め来つて翌十七日朝七時を以て、参謀来島頼三、槍手銃手数百人を率ゐて愈(いよいよ)現はれ来
【コマ 480】
る。中島三郎助、大砲を曳き来つて、而して曰く、此所は我墳墓の地なり、さらば今まで敵を打ち懲らしたる、この大砲と共に一命を砕かむと。即ち鐵加農砲に五重の弾薬を込め、来島の到るを量つて発砲す。轟声一発砲筒も裂けむとす。中島抜刀して、逸早く突進を開始すれば、時に其子恒太郎及び房次郎父に従つて進む。土将、ニ子の噴起を見て是を縛さむとす。恒太郎即ち土将の腕を斬るや、隊士山上某は槍を以て房次郎を突かむと駈け来れり。恒太郎即ち弟を援くるに山上を殪す。此時に當りて父中島三郎助は、西軍主将樽澤某と七離七合、身今や銃創を受けて、互に流血淋漓たり。恒太郎即ち弟と共に樽澤に斬り掛りしが、父中島は遂に殪れけり。恒太郎是を望み見て、今は是迄なりと、弟と共に剣を四方に振り廻して、奮起して相戦ひ、遂に樽澤を殪す。忽ちにして飛丸は来つて、この少年を銃殺す。時恰も戦場陸軍、守護の諸隊は血戦苦闘にあり。かくて千代ヶ岡の防備は、素より衆寡の適し難く、堅闘一敗皆討死するに至る。依て西軍は大呼して千代ヶ岡を略す。参謀来島頼三、郭内臺場の土堤に踞して、五稜郭を遠望する所ありけるが、中島隊の一勇士柴田俊助なる者、土堤に伏して銃を発す。銃丸飛び来つて来島の股を貫くや、西軍俄然四方より是を見れば、柴田は敵兵数人を殪して、其側にて銃を以て己れを撃ち、而して死に居たりき。
--引用・要約;「慶応戊辰奥羽蝦夷戦乱史」/近代デジタルライブラリー--

※星恂太郎 天保11年(1840) -明治9年(1876)/幕末の仙台藩士/額兵隊々長/歩兵頭並/諱は忠狂
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