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白石城の図

2014.09/30(TUE)

白石城の図 天和二年(1682)の図
奥州白石城・共通入館券、裏面




白石城の図/天和ニ年(1682)の図
 1 三階櫓
 2 未申櫓
 3 辰巳櫓
 4 多門櫓(大手門)
 5 菱門
 6 舛門
 7 繭門
 8 茶室
 9 厩門
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白石城図(概略)
白石城の図_c0185705_8414554.jpg

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白石城概要
 主として仙台藩伊達氏の支城として用いられ、片倉氏が代々居住した。九州の八代城などと並んで、江戸幕府の一国一城制の対象外とされて明治維新まで存続した。天守の代用となっていた三階櫓は、支城という格と幕府への配慮から天守の名をはばかり大櫓と名づけられたとされる。かつての城は、本丸、二の丸を中心に、幾重にも外郭を備えた堅城であった。虎口のうち、大手門付近には幅が変化し、鍵の手に折れる通路など,特に工夫がみられる
 明治初頭の廃城令により廃城処分とされ、ほとんどの建物は破却された。天守閣は石垣なども撤去され更地になった。現在、三階櫓など本丸の一部が1995年に木造で復元されて現在は公園となっている
 現存する建物としては、厩口門が市内の延命寺山門に、東口門が市内の当信寺山門に、どこの門か定かではない城門が名取市の耕龍寺山門に、煙硝蔵が市内の個人宅に、それぞれ移築されている。土塁は当時のものがそのまま残っている
     *
・慶応四年(1868)、戊辰戦争の際、東北諸藩の代表たちが白石城に於いて白石列藩会議を開く。これが奥羽越列藩同盟の結成につながった
--引用・要約;「白石城」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2016.02/23(火)07;47--
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大手一ノ門及び二ノ門 (2014.09/30)



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