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黒河内伝五郎の墓(阿弥陀寺)

2014.09/05(FRI)

黒河内伝五郎の墓 会津若松市七日町 4-20・阿弥陀寺




会津藩三名の墓
黒河内伝五郎の墓(阿弥陀寺)_c0185705_1411037.jpg

写真;2014.09/02
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以下、現地の案内板から

会津藩最強の武芸者
黒河内伝五郎の墓
 幕末会津藩の武芸者で、兼規または義信ともいう。家芸の居合術だけでなく、神夢想一刀流剣術、宝蔵院流高田派の槍術、その他薙刀、手裏剣、鎖鎌など武芸百般を極め、藩校日新館で武芸指南役を務めていた。長州・萩に招かれたこともあり嘉永五年(1852)に吉田松陰が会津に訪れたとき、ひそかに日新館を見学させた。会津藩最強の剣客といわれ、晩年は失明したが、座頭市を彷彿させるように武芸の技は衰えることがなかったという。会津戊辰戦争で長男義次は戦死、次男義兼は負傷。西軍が城下に攻め入った慶応四年(1868)八月二十三日、伝五郎は次男を介錯した後、自決した。六十五歳だった。古武士を思わせるような典型的な会津人で、平成二十五年NHK大河ドラマ「八重の桜」にも登場している。

■墓碑中央に「進義院剣光尽忠居士」と刻まれ、右が長男、左が次男の法名である。

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・黒河内伝五郎 十一石二人扶持/明治元年八月二十三日若松の自宅で自刃/六十五歳
・   百太郎 伝五郎伜/大砲士中二番千葉隊/明治元年八月二十三日若松天寧寺町口で戦死/四十三歳
・   百次郎 伝五郎二男/朱雀士中四番佐川隊/明治元年六月越後で傷、八月二十三日若松自宅で自刃/三十六歳
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--



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