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会津藩士戦死者之墓(長命寺)

2014.09/03(WED)

会津藩士戦死者之墓 会津若松市日新町 5-51・長命寺




会津藩士戦死者之墓(長命寺)_c0185705_1735138.jpg

写真;2014.09/02
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以下、現地の案内板から

戊辰戦役 会津藩士戦死者之墓
慶応四年(西暦一八六八年)戊辰戦争中の八月二十九日、ここ長命寺付近で大激戦があり、会津藩側に多くの戦死者が出た。
 九月二十二日会津藩の降伏開城により戦争は終わったが、城下の会津藩戦死者の遺骸は、新政府から埋葬が許可されず、翌年の雪解けまで放置された。
 これを見かねた、時の長命寺住職幸證師は、年の暮れに付近の遺骸を密かに埋葬した。その総数は百四十五体と言われている。墓碑は明治十一年四月になって、旧会津藩士七十五名の有志によって建立されたが、碑面には「戦死墓」の三文字以外表示することが許されなかった。
     財団法人会津弔霊義会




戊辰戦役 会津藩士戦死者の墓
会津藩士戦死者之墓(長命寺)_c0185705_18373621.jpg


長命寺戊辰戦懐古  天鶴

  撃つもよし討るるもよし瓦毛の
    砕けてのちは唯の土くれ


  百年の弾痕今だ尚消えず
  秋風何をか語る長命寺の畔
  無名の万骨苔石に鎮まり
  香煙新に迫る忠魂の前
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・長命寺の戦い
慶応 4年(1868)
・ 8月29日
八月二十九日、太鼓門で君公の見送りを受けて、総指揮を執る佐川官兵衛の隊は城の西門(追手門)を出た。佐川隊は
  歩兵隊(辰野源左衛門)
  正奇隊(杉浦丈右衛門)
  朱雀三番士中隊(原田主馬)
この三隊を先鋒とし、以下
  進撃隊(小室金吾左衛門)
  別選組(春日佐久良)
  砲兵隊(田中左内)
  会義隊(野田進)
  朱雀二番士中隊(田中蔵人)
  朱雀二番足軽隊(間瀬岩五郎)
  後陣 総督佐川官兵衛
である。出撃は、藩が四境に派遣していた各部隊が帰城して、その会津の精鋭一千余であった
そして、若松城下の情勢だが、母成峠で新政府軍に敗れて以降、新政府の兵は続々と城下に入り、城の三方は既に包囲され、残る南方も徐々に包囲されつつあった。籠城を決した会津藩にとって、食糧の確保、さらに期待される援軍(米澤)との連携を図るためにも連絡路の確保が必要だったのである
佐川隊は追手門(北出丸の西側)から米代一ノ丁を過ぎ、なお西進して北に折れ融通寺(ゆづうじ)町口門に至った。この周辺を警備していた備前の一小隊は、待ち受けて発砲はしたが敗走した。佐川隊は勢いを得て、北方五百メートルの長命寺を目指して前進する。長命寺は塀と堀をめぐらし、小要塞の態をなして新政府軍の兵が多くここに拠っていたのである
佐川隊は、長命寺方面の攻略に際して隊を分散し
・砲兵隊一番分隊を融通寺町口のすぐ東隣り、諏方社の守りにつかせ、三番分隊にはさらに東側の、北方へ延びる桂林寺町方面の新政府軍を横撃する態勢をとらせた
・正奇隊・朱雀一番士中隊・会義隊は長命寺の南側から西方に向い、隣接する宝泉寺から射撃をあびせ
・別選組・朱雀二番足軽隊・進撃隊分隊は融通寺町口を北進し、西名子屋町から西方の長命寺へ猛射をあびせた
一方、先に宝泉寺から射撃を加えていた
・正奇隊・朱雀一番士中隊・会義隊の三隊はさらに西方五百メートルの湯川に沿って進撃し穢多町(越後街道上)の町はずれに西側から迫った。ここにある一里塚と町なかとに新政府軍が陣を構えていた。まず
・朱雀二番士中隊(田中蔵人)が穢多町の陣を攻撃し、正奇ほか二隊は一里塚陣を攻撃した。ともに激戦であったが兵の寡多と装備の差が勝敗を決し会津側は敗走する
・歩兵隊も南方からこの地を目指すが到達できず、長命寺に戻った
長命寺周辺では
・朱雀二番足軽隊と別選組が正門東側の西名子屋町で北方の北小路、老町で新政府軍と交戦するが死傷者多数を出して劣勢となり、城中から
・朱雀三番寄合隊・靑龍二番士中隊が応援に駆けつけたが戦況は好転せず
この頃
・進撃隊は既に小室隊長を失っていたものの、長命寺近辺の田圃で北小路方面の新政府軍と交戦
     *
かくして佐川官兵衛の率いた隊は、長命寺を一旦は奪取したしものの奪還され、この方面から敗退して越後街道方面の確保は叶わなかったのである。加えて会津側は戦死百十人(「會津戊辰戦史」では百七十)、傷九十三人。戦闘に参加した九人の隊長の内、五人までもが戦死するという大きな被害を出した。なお、戦死した多くの将兵の懐中に「慶応四年八月二十九日討死」と記した紙片があったと云う

会津藩の主な戦死者
 田中蔵人(六百石)
 北原四郎(五百石)
 杉原丈左衛門(四百石)
 国府篤三郎(四百石)
 間瀬岩五郎(三百五十石)
 赤羽宇兵衛(三百五十石)
 高橋伴之助(三百五十石)
 内藤勇五郎(三百石)
 有賀勝助(三百石)
 鈴木丹下(二百五十石)
 小室金吾左衛門(二百石)
 庄田又助(二百石)
 井上八十郎(二百石)
 佐川幸右衛門(二百石)※佐川官兵衛の父

--引用・要約;「戊辰戦争全史(下)」菊地明/伊藤成郎編・新人物往来社、1998.05/20第1刷--
2014.09/17
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