長命寺築地塀
2014.09/03(WED)
長命寺築地塀 会津若松市日新町 5-51
・・・ついじべい
写真;萩と築地塀、2014.09/02
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以下、現地の案内板から
市指定文化財(史跡)第八十一号
平成五年九月十六日指定
ついじべい
史跡 長命寺築地塀
長命寺は慶長十年(一六〇五)京都本願寺第十二世教如人が蒲生秀行に請い、若松城下日野町(今の上町)に一寺を建立、本願寺輪番(本願寺出先機関)の地とし「本願寺掛所」としたのが始まりとされている。
そして、浅草本願寺と同じ寺格を賜り、会津一円は勿論、東北の各地にも布教した。
寛文七年(一六六七)院地狭隘のため今の地を賜って移り、これまでこの寺は御坊と尊称されてきたが、「幸甫」の代より長命寺と改め、輪番制を廃し世襲の寺となった。
寛文年間(一六六一~一六七二)本願寺直轄寺院であったこの寺は、最高の寺格を示す白線の五條の築地塀を許された。
この築地塀は、平成五年の大修理の際にわかったが、構造的には外観を土塀にて仕上げるいわゆる「練リ壁」の工法がとられ、この工法は江戸時代に広くおこなわれていた。
この築地塀の名を高らしめたのは、戊辰の役における長命寺での攻防戦であり、当時の鉄砲弾がこの築地塀に無数に残っていて、その戦いのすさまじさを物語っていた。
平成七年十二月
会津若松市教育委員会
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長命寺
■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス
長命寺築地塀 会津若松市日新町 5-51
・・・ついじべい
写真;萩と築地塀、2014.09/02
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以下、現地の案内板から
市指定文化財(史跡)第八十一号
平成五年九月十六日指定
ついじべい
史跡 長命寺築地塀
長命寺は慶長十年(一六〇五)京都本願寺第十二世教如人が蒲生秀行に請い、若松城下日野町(今の上町)に一寺を建立、本願寺輪番(本願寺出先機関)の地とし「本願寺掛所」としたのが始まりとされている。
そして、浅草本願寺と同じ寺格を賜り、会津一円は勿論、東北の各地にも布教した。
寛文七年(一六六七)院地狭隘のため今の地を賜って移り、これまでこの寺は御坊と尊称されてきたが、「幸甫」の代より長命寺と改め、輪番制を廃し世襲の寺となった。
寛文年間(一六六一~一六七二)本願寺直轄寺院であったこの寺は、最高の寺格を示す白線の五條の築地塀を許された。
この築地塀は、平成五年の大修理の際にわかったが、構造的には外観を土塀にて仕上げるいわゆる「練リ壁」の工法がとられ、この工法は江戸時代に広くおこなわれていた。
この築地塀の名を高らしめたのは、戊辰の役における長命寺での攻防戦であり、当時の鉄砲弾がこの築地塀に無数に残っていて、その戦いのすさまじさを物語っていた。
平成七年十二月
会津若松市教育委員会
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長命寺
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by mo20933
| 2014-09-03 18:01
| 会津若松市