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徳川義臣傳(秋月登之助)

2014.06/10(TUE)

徳川義臣傳 近代デジタルライブラリー
秋月登之助




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明治/戰記 徳川義臣傳 岡田霞船編・金松堂、1883

 明治十六年 十月三日 出版御届
 同    十一月   出版
 編輯人  東京府平民 岡田良策/淺草區淺草西三筋町三十四番地
 出版人  東京府平民 辻岡文吉/日本橋區横山町三丁目二番地

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秋月登之助
[近代デジタルライブラリー]徳川義臣傳・乙、コマ番号〈 26/31〉(引用)

秋月登之助ハ會藩の士にして尤も文武ニ達す藩主朝敵となられてより一藩の士を擧て官軍ニ当らんとせし時ニ登之助ハ大隊長となりて本國を發し加藤今見の人々と共ニ野州ニ出張し、官兵佐土原彦根藤堂土州の兵等と今市駅ニ大ひニ戦ひ之れを破り尚諸々ニ轉戦して能く兵を指揮す又白川及び二本松の戦いにも屢々奮闘血戦ニ及んで大ひニ其名を知られたり
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秋月登之助(あきづきのぼりのすけ、天保13年(1842)-明治18年(1885) 1月 6日?)
幕末の会津藩士。本名は江上太郎種明。会津田島の代官江上又八種順(十六石三人扶持)の子。会津藩京都守護職拝命により、武芸に秀でた者のみで編成された京都詰先備甲士として藩主容保の身辺警護にあたる
慶応 4年(1868)
・容保は江戸の会津藩邸から引き上げたが、登之助は旧幕府軍に加わった。始めは幕府軍第七連隊の歩兵差図役並だったが、その後大鳥圭介の伝習隊に加わった。宇都宮城の戦いでは伝習第一大隊の隊長として参謀の土方歳三と共に戦った。母成峠の戦いで目撃されたのを最後に消息不明となる
 会津若松市の興徳寺にある江上家の墓所には、「秋月登之助、明治18年1月6日行年44才」とある
--引用・要約;「秋月登之助」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』 2014. 3/21(木)11:21--
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※「興徳寺」 会津若松市栄町 2-12

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