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芭蕉の句碑

2014.06/06(FRI)

芭蕉の句碑 那須塩原市鍋掛




芭蕉の句碑_c0185705_15413981.jpg

写真;2014.06/06
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平成26年(2014)
・06月06日
 生憎の雨だったが、鍋掛(宿)まで「多田温兵衛墓」のお参りに行き、墓近くにあったこの句碑を観て来た
多田温兵衛墓(正観寺)(2014.06/06)
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以下、現地の案内板から

芭蕉の句碑

 芭蕉が元禄二年(一六八九年)三月(旧暦)「奥の細道」行に旅立ち、黒羽より高久に向う道すがら四月十六日、手綱をとる馬子の願いにより作り与えた句を碑にしたものである。

 野を横に 馬牽きむけよ ほとゝぎす

 この句は、どのあたりでつくられたかは明らかではないが、余瀬より蜂巣を過ぎると野間までは広き原野が続いていたので、この間につくられたものと思われる。
 その昔行われた那須野の狩を想い起こし「私も武将になったつもりで、いばって命令してみようか」という心境で詠んだものである。
 句碑の建立は、文化五年(一八〇八年)十月に、当時鍋掛宿の俳人菊地某外数名によるものと思われる。
 平成五年(一九九三年)三月、街道景観形成事業により、ここに建て替えられた。

     黒磯市教育委員会

鍋 掛 宿
 鍋掛宿は、江戸時代の五街道の一つ奥州街道の宿場として栄えた集落であり、最盛期には、戸数も百余戸を数え、旅籠、茶屋、その他多くの商家などで賑わったという。
 江戸時代初期の正保三年(一六四六年)以後は幕府直轄地天領として明治まで治められた。
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・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

by mo20933 | 2014-06-06 15:42 | >黒磯