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新政府軍、平潟に上陸

2013.09/27(FRI)

新政府軍、平潟に上陸 北茨城市
慶応四年六月




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平成25年(2013)
・ 9月27日
 平潟港(北茨城市)を見に行く。途中、いわき・ら・ら・ミュウで昼食(おすゝめ握り、1300円)後、勿来を経て着く。晴れて風も無く気持ちの良い日だ
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慶応 4年(1868)
・6月
 関東をほゞ制圧した新政府軍は諸藩から派遣された兵力を東北討伐に向けることになる。奥羽追討総督には参謀正親町公董(おおぎまちきんただ)、参謀補助には木梨準一郎、補佐には下参謀渡辺清左衛門をあて、海路平潟に向かわせることにした      
・6月16日 薩摩藩兵(一二番隊・私領一番隊・私領二番隊)、大村藩兵(銃砲隊と砲一門)、佐土原藩兵(一番・二番の二銃隊と一番砲隊)が平潟に着くと、以降..
・  20日 柳川藩兵、備前岡山藩兵
・  29日 笠間藩兵(四小隊と砲一門)
・7月 3日 参謀河田景与に印旛藩(六小隊)、備前岡山藩、大和郡山藩
・   9日 薩摩藩三隊と三番砲隊
      印旛藩十四小隊、砲二隊と砲五門が小名浜に到着
 こうして平潟に上陸した新政府軍と東北諸藩の兵士とが真っ向から対峙し、いよいよ決戦の時がせまった
     *
--参考文献;戊辰戦争全史(下)・菊地明/伊東成郎編 p.17 小桧山六郎--
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以下、北原亞以子/講談社文庫「歳三からの伝言」から引用
p.268
慶応 4年(1868)
・6月
 六月二十四日、棚倉城を落とした新政府軍は、大挙して白河へ向っている。平潟に上陸し、勿来関を越えると、泉、湯長谷(ゆながや)、平などの小藩がつづいて、平潟には仙台藩兵が、平付近には箱根の戦さで敗れた上総の請西藩主林忠崇(はやしただたか)や、もと京都見廻組の人見勝太郎が守りについていた。が、新政府軍はやすやすと平潟に上陸し、六月二十八日に泉二万石の館を、二十九日に湯長谷一万五千石の館をぬいた。平藩は湯長谷から押寄せた新政府軍を二度までも撃退、意気はおおいに上がっていると聞くが、新政府の兵は、続々と平潟に上陸しているという。
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平潟港
絶景の名勝地で、東に薬師堂、西に八幡神社が相向い、湾内は波静かで、まるで鏡の様に奇岩や草木を映し出しています。またこのあたりはアワビ・ウニの産地で、新鮮な魚と共に観光客の舌鼓を打たせています。小名の岬は東北に曲線を画いていて海岸を抱いています。(北茨城観光リーフレット)

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