洗心亭
2013.08/29(THU)
洗心亭 二本松
二本松城跡
写真;2013.08/27
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以下、現地の案内板から
福島県指定重要文化財
洗心亭 一棟
平成十六年三月二十三日 指定
二本松城跡南西寄り、霞ケ池西畔の丘腹に東面して建つ茶亭である。桁行五間、梁間二間、浅い床と天地付の棚および簡素な平書院を飾る北端の上座敷から中座敷・下座敷を一文字型に並べて配し、東面から北面にかけて幅二尺の榑縁を外縁式に折り回す。柱や土壁・建具等をはじめ、軒天井や垂木などに至るまで、すべて数寄屋風の手法が採用されている。
建立や沿革は、明治四〇年(一九〇七)旧二本松藩士安部井磐根の執筆による「洗心亭記」が残され、これによると前身は城内に建立された茶亭のうちの一棟「墨絵の御茶屋」で、天保八年(一八三七)背方の崖崩れにより阿武隈川畔地蔵河原に移築され、藩主の釣茶屋として利用されていたものであるという。明治維新後、旧藩士の授産などに従事していた山田脩に旧藩主から譲渡され、明治四〇年、城跡内の現在地(ほぼ旧所在地と推定)に再移築された。二本松市歴史資料館所蔵『安井時僚覚書』によれば、延宝七年(一六七九)にはその存在が知られているため、創建は一七世紀中葉ぐらいであったと推定される。
大名による茶屋(茶室)の県下における数少ない遺構の一つとして重要である。
二本松市教育委員会
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■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス
洗心亭 二本松
二本松城跡
写真;2013.08/27
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福島県指定重要文化財
洗心亭 一棟
平成十六年三月二十三日 指定
二本松城跡南西寄り、霞ケ池西畔の丘腹に東面して建つ茶亭である。桁行五間、梁間二間、浅い床と天地付の棚および簡素な平書院を飾る北端の上座敷から中座敷・下座敷を一文字型に並べて配し、東面から北面にかけて幅二尺の榑縁を外縁式に折り回す。柱や土壁・建具等をはじめ、軒天井や垂木などに至るまで、すべて数寄屋風の手法が採用されている。
建立や沿革は、明治四〇年(一九〇七)旧二本松藩士安部井磐根の執筆による「洗心亭記」が残され、これによると前身は城内に建立された茶亭のうちの一棟「墨絵の御茶屋」で、天保八年(一八三七)背方の崖崩れにより阿武隈川畔地蔵河原に移築され、藩主の釣茶屋として利用されていたものであるという。明治維新後、旧藩士の授産などに従事していた山田脩に旧藩主から譲渡され、明治四〇年、城跡内の現在地(ほぼ旧所在地と推定)に再移築された。二本松市歴史資料館所蔵『安井時僚覚書』によれば、延宝七年(一六七九)にはその存在が知られているため、創建は一七世紀中葉ぐらいであったと推定される。
大名による茶屋(茶室)の県下における数少ない遺構の一つとして重要である。
二本松市教育委員会
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by mo20933
| 2013-08-29 10:40
| 二本松市