人気ブログランキング | 話題のタグを見る

境の明神(陸奥)

2013.04/11(THU)

境の明神(陸奥) 陸奥と下野の国境




--------------------
境の明神(下野)(2013.04/11)
--------------------
境の明神(陸奥)_c0185705_2037278.jpg

写真、【陸奥側(白河市)の境の明神】2013.04/11

--------------------
以下、現地の案内板から

境 の 明 神 (さかいのみょうじん)

 旧奥州街道に面して、陸奥(福島県側)と下野(栃木県側)の国境を挟んで境の明神が二社並立している。陸奥側の境の明神は、玉津島明神を祀り、下野側の明神は住吉明神を祀っている。
 境の明神の由緒は不詳であるが、文禄四年(一五九五)に当時白河を支配していた会津藩主蒲生氏が社殿を造営している。現存するのは弘化元年(一八四四)に建てられた小祠である。
 奥州街道は五街道の一つで、奥州・越後などの諸大名が参勤交代で通行し、旅人や商人などの往来も盛んであった。このため道中の安全を祈ったり和算額を奉納したり、灯籠や碑の寄進なども盛んに行われている。
 境内には越後新発田藩溝口家や南部藩士などが寄進した灯籠が並び、松尾芭蕉の「風流のはじめや奥の田植え唄」などの句碑や歌碑も多く建立されている。神社北側の杉林は、別当寺であった和光山豊神寺の跡地で、神仏習合の名残をとどめている。

玉津島明神と住吉明神

 玉津島明神(女神・衣通姫)と住吉明神(男神・中筒男命)は、国境の神・和歌の神として知られ、女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)という信仰に基づき祀られている。このため、陸奥・下野ともに自らの側を「玉津島を祀る」とし、反対側の明神を「住吉明神を祀る」としている。

※ 衣通姫(そとおりひめ)
  中筒男命(なかつつおのみこと)
--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

by mo20933 | 2013-04-11 20:37 | 白河市