観象台(千本松)
2013.04/04(THU)
観 象 台
写真、【観象台跡】西那須野千本松、2013.04/03
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以下、現地の案内板から
史跡 観 象 台 (かんしょうだい)
西那須野町指定文化財
昭和四十七年十二月一日指定
この塚は、明治初年の我が国における、近代的三角測量の貴重な遺跡である。
近代国家を目ざした明治新政府は、国土の近代的測量をお雇い外人の指導で始めることになった。明治八年(一八七五)には、イギリス人のマクウェンやヘンリー・シャポーの指導のもとに、関東地方の測量(関八州大三角測量)が着手された。
この測量には、平地の二地点を結ぶ直線(基線)を設け、その長さを極めて精密に測量する必要があった。
この一帯は、江戸時代から明治十年代(一八八〇年前後)にかけて、那須野ヶ原と呼ばれる平たんな原っぱであった。そこで、この地が相模原(神奈川県)と共に基線測量の場に選ばれた。那須野ヶ原における基線(那須基線)のあらましは、次のとおりである。
① 那須基線北点 西那須野町千本松(この観象台)
② 那須基線南点 大田原市実取(みとり)
③ 測量の時期 明治十一年四月九日-六月十一日
④ 二点間の距離 一万六百二十八、三一〇五八九メートル
当初、この観象台には木のヤグラが組んであり、明治十年代の開拓や那須疏水測量の際かっこうな目標物となり、人々に親しまれた。北点と南点を結んで開拓道路の縦道(たてどう)がつくられ、現在はライスラインの一部となっている。
※ なお、塚のわきの水準標は五十メートルほど南東にあったものである。
平成二年(一九九〇)二月
那須塩原市教育委員会
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■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス
観 象 台
写真、【観象台跡】西那須野千本松、2013.04/03
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以下、現地の案内板から
史跡 観 象 台 (かんしょうだい)
西那須野町指定文化財
昭和四十七年十二月一日指定
この塚は、明治初年の我が国における、近代的三角測量の貴重な遺跡である。
近代国家を目ざした明治新政府は、国土の近代的測量をお雇い外人の指導で始めることになった。明治八年(一八七五)には、イギリス人のマクウェンやヘンリー・シャポーの指導のもとに、関東地方の測量(関八州大三角測量)が着手された。
この測量には、平地の二地点を結ぶ直線(基線)を設け、その長さを極めて精密に測量する必要があった。
この一帯は、江戸時代から明治十年代(一八八〇年前後)にかけて、那須野ヶ原と呼ばれる平たんな原っぱであった。そこで、この地が相模原(神奈川県)と共に基線測量の場に選ばれた。那須野ヶ原における基線(那須基線)のあらましは、次のとおりである。
① 那須基線北点 西那須野町千本松(この観象台)
② 那須基線南点 大田原市実取(みとり)
③ 測量の時期 明治十一年四月九日-六月十一日
④ 二点間の距離 一万六百二十八、三一〇五八九メートル
当初、この観象台には木のヤグラが組んであり、明治十年代の開拓や那須疏水測量の際かっこうな目標物となり、人々に親しまれた。北点と南点を結んで開拓道路の縦道(たてどう)がつくられ、現在はライスラインの一部となっている。
※ なお、塚のわきの水準標は五十メートルほど南東にあったものである。
平成二年(一九九〇)二月
那須塩原市教育委員会
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by mo20933
| 2013-04-04 17:38
| >西那須野