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第三章 奥羽鎮定の方針

2013.01/10(THU)

戊辰白河口戦争記 佐久間律堂著(昭和16年)




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第三章 奥羽鎮定の方針

慶応4年(1868)
・正月
奥羽の鎮定は大兵を動かすことなく、奥羽諸藩の兵を以て鎮定することに朝議が定まって、其の令は奥羽諸藩に下ったのである

令に云
 就徳川慶喜叛逆、為追討、近日官軍自東海・東山・北陸三道、可令進発旨被仰出候。附ては奥羽の諸藩宜知尊王大義相共に援六師征討之勢旨。御沙汰候事

正月十七日には朝廷仙台藩に令を下した。その令に云
     仙台中将
 会津容保今度徳川慶喜の叛謀に与し、錦旗に発砲し、大逆無道可被発征伐軍候間、其藩一手を以て本城を襲撃速に可奏追討之功旨、御沙汰候事
・ 2、 3月
此に仙台藩主伊達慶邦はこの旨を藩中に達した
会津藩主松平容保は江戸城藩邸に謹慎中であったが慶喜の旨を受けて、二月十六日江戸を出で帰国した。この時局に当って江戸市内取締の重任を担ってゐた庄内藩も亦帰国した。桑名藩主松平定敬も江戸藩邸に謹慎中であったが、藩邸を出で其の菩提寺の霊岸寺に退き、大久保一翁の勧により更に僻遠の地に謹慎することになり、其の領地の越後柏崎に退いた
二月二十六日、左大臣九條道孝奥羽鎮撫総督となり、澤為量は副総督(為量は宣嘉の父)、醍醐忠敬・大山綱良(格之助)・世良砥徳(きよのり=修蔵)参謀となりて、慶応四年三月二日、薩摩百三人・長藩一中隊・筑前藩百五十八人・仙台藩百人の守衛兵を率ゐて京都を発し、海路奥羽に向かった
是より先、奥羽鎮撫使として澤為量・醍醐忠敬命ぜられ、其の参謀には薩の黒田清隆・長の品川彌次郎命ぜられた。然るに其の鎮撫の方針を定むるに当り鎮撫を主とするか、討伐を主とするかに関して議恊(かな)わず、鎮撫を主とする黒田・品川は参謀を辞するに至った。そこで前記の任命となる。これが会津討伐ともなり、奥羽列藩の同盟ともなったものである
奥羽鎮撫総督京を発するに方(あた)り天童藩の老臣吉田守隆が前導に任じた。三月十日浪華(なにわ)を出帆、十九日松島に上陸、一時観瀾(かんらん)亭を営所とした。三月二十三日には仙台藩主松平慶邦松島に到り、九條総督に謁して会津討伐先鋒の命を拝した。慶邦は是に於て兵を御霊櫃・土湯・中山・石筵(いしむしろ)・湯原等の諸口に出し進んで会津に迫った
然るに奥羽諸藩の意向は、概ね弭兵(びへい)論で会津討伐を不可とし、寛大の処置を講ずべしとなし、仙台・米沢ニ藩がその首唱者であった
鎮撫総督は会津を討たしめようとする、奥羽諸藩は会津を救ふとする、この両意見の相違は互に誤解を生ぜしめたのである
此の頃米沢藩の大瀧新蔵等仙台に来つて、世良参謀に面談して曰く「容保謹慎中である、于戈(かんか)を動かすことなく鎮撫し得べし」と建言した。所が世良参謀は大に立腹して「米藩異議あらば会藩と同罪なり」と言った。初めから世良参謀と奥羽諸藩とは氷炭相容れぬ関係に立った
世良参謀は奥羽諸藩を以て奥羽を鎮撫することの困難であることを察知して、長藩に左の書を送って援兵を請うている。(世良参謀は長藩出身である)
爾来益々多祥に御尽力被成御座の段奉大慶候。鎮撫使一統、海上無異之儀、当月二十三日仙台城下へ著陣相成申候。偖(さて)会藩にても大きに憤発、上下一和、自分将軍と称号し、水兵・徳川兵・桑名兵・其他農町兵・新撰組等集屯、四境へ勢を張り既に押出すの勢と相見え申候。右の次第に付、仙台不練の兵にては奏功無覚束、巨細(こさい)軍防局へ申遣候間、御承知可被下候
何れ薩兵と我が兵と被差出不申ては、中々六ケ敷様(むずかしきよう)存、乃ち薩藩大野五左衛門差登候に付、御面会の上、万緒御咄可申様頼置候間、是亦御承知可被下候。庄内も少々手当有之候哉に相聞え申候。米沢も半信半疑也。不足頼と奉存候。右は用事而巳(のみ)
           早々頓首
   三月晦日
           世良修蔵
   大戸準一郎様
   廣澤兵助様
 尚々彌次郎へも荒増(あらまし)申遣置候間、御承知被下度候。已上(いじょう)

この文を以てすれば、世良参謀は奥羽兵を以ては会津討伐には不足とし、且つ米藩を信じて居らぬことは明白で、奥羽は薩長兵をして追討すべしと覚悟したものである
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--佐久間律堂「戊辰白河口戦争記」昭和16年(1941)・復刻--


第一章 幕軍鳥羽伏見に敗る
第二章 西軍江戸城に進撃
第三章 奥羽鎮定の方針
第四章 奥羽列藩の白石会議
第五章 世良参謀福島に殺さる
第六章 会兵白河城を奪取
第七章 戦争当時の白河城
第八章 白河口の戦争
第九章 五月朔日の大激戦
第十章 西軍白河に滞在
第十一章 輪王寺宮奥羽に下り給う
第十二章 東西相峙す二旬 1/2 
第十二章 東西相峙す二旬 2/2 
第十三章 西軍棚倉城に迫る
第十四章 白河地方に砲声の絶ゆるまで
第十五章 板垣参謀三春に向う
第十六章 若松城遂に陥る
第十七章 奥羽諸藩降る
第十八章 西軍帰還の途白河に宿泊
第十九章 1/3 東西両軍の墓碑及び供養塔
第十九章 2/3 東西両軍の墓碑及び供養塔
第十九章 3/3 東西両軍の墓碑及び供養塔
第二十章 戊辰戦争と地方民 1/2
第二十章 戊辰戦争と地方民 2/2



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