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新島八重

2012.09/20(THU)

新島八重 旧姓山本八重




平成24年(2012)
・ 9月20日
 白河集古苑にて開催中の「新島八重の生涯と戊辰戦争展」を見に行く
 伊王野の道の駅から「追分の明神」を越えて福島に入り、「白河の関跡」と「旗宿」を見て「白坂」に戻り、ここから旧奥州街道を白河へ向かった

「新島八重の生涯と戊辰戦争展」
特別企画展、白河/二本松同時開催
 期間  9月14日(金)~11月 4日(日) 午前 9時~午後 5時
    休館日、月曜日(月が祝祭日の場合は翌日が休館)
 会場 白河会場(白河集古苑)
    二本松会場(二本松市歴史資料館)

長州大垣藩六人之墓(2013.05/18)
会津藩戦死墓、会津藩銷魂碑・松並(2012.06/27)
松並、東軍の慰霊碑(2012.06/26)
白河城の攻防(2012.06/02)

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新島八重(旧姓、山本) 1845~1932
 会津藩砲術師範の山本家に生を受ける。会津での籠城戦では、男装しスペンサー銃を手に戦いに挑む。敗戦後、兄・覚馬を頼って京都へ移り、同志社創設者の新島襄と出会い結婚。後に、日清・日露では篤志看護婦として従軍した。激動の時代を生き抜いた彼女は、後に「幕末のジャンヌ・ダルク」や「ハンサムウーマン」などと称される。
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  白河会場
  新島八重の生涯と戊辰白河口の戦い
  --ゆずれない心、それぞれの矜持(プライド)--
 八重は実に波乱に富んだ人生を歩みました。戊辰戦争時には故郷を守るために身をなげうち、京都に来てからは夫・襄と新島家を支えました。襄の永眠後、日清・日露戦争では若き看護婦たちを率いて傷病兵を助け、戦死者の遺族や女性の自立のためのサポートにも携わりました。こうした八重の生涯を見ると、会津藩士の娘として、新島家の人間として、世の進歩的女性としての矜持を感ぜずにはいられません。
 八重のように大切な「なにか」を守る戦いはここ白河でも繰り広げられました。戊辰戦争時の白河口の戦いです。新政府軍と奥羽越列藩同盟軍が譲れない想いをもって戦いました。百日に及ぶ激戦がその証です。互いの矜持と信念の衝突です。
 展示品は言葉以上に語りかけています。ぜひとも八重と白河口で戦った人々の矜持に心を通わせてみて下さい。
--参考;「新島八重の生涯と戊辰戦争展」白河会場パンフレット--



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