2017.07/14(FRI)

大内宿(2017年 7月 6日) 下郷町大字大内(会津西街道)




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写真;2017年 7月 6日
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 この日、目的の笹沼金吾墓(正法寺)にお参りをし、その帰りの宿風景である
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笹沼金吾墓(2017.07/07)



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2017.07/08(SAT)

【雷神社】 下郷町栄富入王ノ木戌519




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雷神社
神社参道は会津西街道(下野街道)を挟んで八幡神社参道階段の向いにある
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楢原宿にある案内板に
・産土「雷神社とお千度参り」
と説明を附した写真があった(季節は冬、深い雪の中を地域の人たちが列になってお参りをしている様子が写されている)
※ 産土神(うぶすながみ)
生まれた土地の神。中世以後、生児は初宮参りさせ、氏子入りの承認を受けた。また誕生日、七五三などに産土詣をし、旅立ちには暇乞いをする。もとは氏神とは異なる地縁の神であるが、同族結合のうすれるに及んで両者は混用され、ともに村の守護神とされた
--引用;百科事典マイペディア--
     *
・ホタルブクロ
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・楢原宿展望
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林房之助墓・楢原宿(2017.07/07)
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下野街道と八幡神社(2016.10/22)



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2017.07/08(SAT)

Y字路の道案内地蔵 下郷町大字大内(会津西街道)




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Y字路の道案内地蔵
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 大内宿をほヾ北東に向った宿外れに道案内地蔵がある。この地蔵の前を右に辿ると大内峠を経て若松に至り、左は柳津へと通じていたようだ
地蔵台座に 左柳津/右若松
※ 左柳津は未確認
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大内峠・古戦場と峠の茶屋(2013.07/26)



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2017.07/07(FRI)

笹沼金吾墓 下郷町大字大内字山本51(正法寺)




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笹沼金吾墓
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・笹沼金吾  会津藩/金兵衛弟/十石三人扶持/砲兵隊頭取?/明治元年八月二十九日会津大内峠で戦死/三十五歳/大内・正法寺に墓
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
     *
・正法寺
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2017.07/07(FRI)

林房之助墓 下郷町大字豊成字楢原2310(圓福寺)




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林房之助墓
墓碑に
 江戸直参旗本/林房之助/忠臣大居士/慶応四年八月二十六日歿/行年二十三歳
とある
     *
・圓福寺
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・楢原宿
 幕藩体制下での輸送方法は、宿駅から宿駅へ荷物を継ぎ送る「馬継ぎ方式」が原則でした
 輸送された物資の中で、その量からみても筆頭にあげられるのが会津藩米の江戸輸送です。年間十万俵にも及ぶ廻米が、江戸在住の藩士の扶養米、あるいは藩財政操作の資材として送られています
 各宿駅は、当時の物資輸送にとって大変重要な役割を果たしていたのです
 楢原宿の宿駅整備を知る資料としては、本寺圓福寺所蔵の「楢原宿古絵図」があります
 絵図は、旧街道を挟んで東町二十二戸、西町二十二戸の町割りがなされ、寛永一七年(一六四〇)二月二四日の墨銘があることから、寛永年間には楢原宿も宿駅として機能していたことが伺え知れます
 生保四年(一六四七)には、会津藩から宿駅の管理体制についての掟が公布され、寛文七年(一六六七)には街道に一里塚等が築かれました
 このようなことから、下野街道の宿駅や道路が完全に整備されたのは十七世紀中頃と考えられます
     下郷町教育委員会
--現地の案内板から--
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2017.07/07(FRI)

POST 書状集箱 下郷町大字大内(下野街道)




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ご案内
 この郵便ポストは、当「大内宿」が江戸時代の宿場として史跡保存となっておることから、明治五年時に、ここ大内に「大内郵便取扱所(のち大内郵便局・明治十七年廃局)」が、開局されて在ったことを示す記念として、明治四年郵便創業時に東京都内に設置されてあったポスト(当時は、書状集箱という)をここに設置したものです
  赤いポストと同様にご利用下さい
     平成七年七月二日/江川郵便局長
--現地の案内板から--
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2017.06/16(FRI)

筑波山ケーブルカー 茨城県筑波山




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筑波山ケーブルカー
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写真;2017.05/16

・営業開始の経緯
筑波山ケーブルカーは、大正14年10月に、全国でも5番目に開業したという歴史を持つ
当時の筑波山は、筑波山神社の御神体として、多くの参拝者や修行者が訪れる霊山でした。その筑波山に多くの人に来てもらいたいと、茨城の実業家高柳淳之助氏らが関係機関に働きかけ、筑波山鋼索鉄道株式会社を設立するに至る
その後、昭和19年まで営業を続けるが、昭和19年2月、戦時による不要不急線として営業廃止となるが、昭和29年に営業を再開。平成11年10月に筑波山ロープウェー株式会社(筑波山ロープウェー)と合併して、社名を筑波観光鉄道株式会社と変更し、現在に至る
--引用、要約;筑波観光鉄道株式会社・営業開始の経緯--

 ・宮脇駅;山麓の発着駅で標高305mの地点にある
 ・山頂駅;山頂の発着駅で標高800mの地点にあり、運転室もここにある。駅舎を出ると御幸ヶ原で、ここから左に男体山、右に女体山があって、夫々には15分程歩くと達する
 ・運賃 往復・大人 1050円(小児 530円)
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昭和天皇御製(2017.05/18)



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