2018.01/18(Thu)

「三十一人墓」大玉村指定史跡に 福島民報ニュース




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福島民友ニュース/2017年12月15日
「三十一人墓」大玉村指定史跡に
戊辰戦争・東軍戦死者の墓
     *
戦死三十一人墓(大玉村)(2013.12/09)
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2018.01/16(Tue)

明神の井 宇都宮市、二荒山神社




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写真;2018.01/10

--以下、現地の案内板から--
明神の井
宇都宮の名所七木七水八河原の一つで代表的な由緒深い「明神の井」をこのたび復興致しました。この井戸にまつわる伝承は数多く残されており、明治天皇が明治四十二年十一月那須野ケ原大演習の折当地に行幸がありこの井水を以って湯茶を献ったと伝えられております。この井戸水は御神水で霊水でありますので、御手水にあるいは神棚に供える御水にまた書道等の技芸の水に御使用になると上達すると言う信仰があります。お持ち帰りになり、御神徳を戴かれるようお奨めします
  二荒山神社社務所
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ニ荒山神社(2013.11/20)



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2018.01/12(Fri)

幕末の宇都宮へタイムスリップ 宇都宮市




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200 円の缶バッジを購入すると、このマップが付いてきた(宮カフェ)。表紙下部に記載の「常念寺、彰義隊数士之墓 碑文より」についてマップ面に次の記載あり
※ 「宮カフェ」は宇都宮市のアンテナショップ/宇都宮市江野町 2-11

彰義隊数士之墓
5 常念寺
元々城内にあった彰義隊数士之墓が、明治27年亀郭の建設に伴いこの寺内へ移された。実際の被葬者は第2次宇都宮城攻防戦時に付近で戦った御料兵と思われる
碑文
数士姓名不詳戊辰夏戦死此地里人埋之今已七年為樹□何以□改恨□慰幽魂也
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宇都宮城の攻防Ⅰ(2012.05/28)
宇都宮城の攻防Ⅱ(2012.05/30)



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2018.01/10(Wed)

羽黒山神社 宇都宮市今里町 1444(上河内)




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--以下、現地の案内板から--
市指定有形文化財第一号
  羽黒山神社本殿
 うがの みたまのみこと
 稲倉魂命を祀る羽黒山神社(明治初期まで「羽黒山大権現」)は、近郷十八郷の総鎮守としてまた、神仏混淆の修験道場として、多くの信者から長年にわたって崇敬されていた
 創建については、諸説があるが康平年中(1058~1065)に、藤原宗円(宇都宮宗円)が宇都宮城の築城に際し、祈祷修法中に出羽三山との関連を意識し勧請されたものとされている(羽黒山は古くは河内山と称す)
 現在の本殿の造営は、文政十三(末)年(1830)に大工棟梁、山本飛騨(高根沢住)力持ちその他の精巧な社の彫刻は、神山政五郎(鹿沼住)の作である
  宇都宮市教育委員会/羽黒山神社
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  ロウバイ
 ロウバイが咲き始めていた



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2018.01/10(Wed)

蒲生神社 宇都宮市塙田五丁目 1-19




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写真;2018.01/10
※ 2008年より当地の出身とされる初代横綱、明石志賀之助に因み少年相撲大会が行われているそうだ
--以下、現地の案内板から--
蒲生神社
 御祭神 蒲生君平
 御祭神蒲生君平先生は会津城主蒲生氏郷を祖として明和五年宇都宮に生まれた
 幼少より父祖の功業に発憤し学業に専念、特に太平記を愛読して忠誠の志を養った
 林子平、高山彦九郎らと共に寛政の三奇人として知られる。藤田幽谷、滝沢馬琴、山本北山、平田篤胤らと交わり深く歴代天皇の御陵の荒廃を嘆き、その復興を志して、西国の皇陵を探査修復し山陵志、職官志、不恤緯、今書 女誡国字解、皇和表忠録など、精神文化の上に不滅の偉業を樹て文化十年四十六歳江戸(東京)で没した
 明治天皇は特に先生の勲功を認められ明治二年藩知事戸田忠友をして旧宇都宮市街地入口南新町に先生の勅旌碑を建てさせ、さらに明治十四年特者を以って正四位を追贈せられた
 神社参拝の各位は君平先生の崇高なるその偉業を讃えて参拝の誠を捧げられたい
 平成十三年七月五日
 蒲生神社奉賛会
     *
蒲生君平顕彰碑(二荒山神社)(2013.11/20)
蒲生氏郷公の肖像(興徳寺)(2015.09/04)
蒲生氏郷公墳墓之地(興徳寺)(2015.09/04)
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--以下、現地の説明板から--
蒲生神社
学問の神 御柱(おんばしら)
 日本では古来より、大きな柱(御柱)を奉り神様にお願い事をして参りました。この「学問の神御柱」は当神社の学問の神様(蒲生君平)に、皆様の学業向上をお願いする「御柱」です
 この「御柱」の横穴に筆記用具を見事に一度で通してください(難問を通り抜ける)
但し、自分の目線より高い横穴に通してください(夢も希望も大きく、そして目標はより高く)
  学問の願いは蒲生神社が叶えてくれるでしょう
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2017.12/29(FRI)

三島神社(奥宮) 那須塩原市西那須野(赤田山々頂)




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※ 写真;2017.12/29
三島神社(奥宮)
三島神社の案内板に
・・・
一、境外神社
母智丘神社母智丘頂(赤田山頂)本神社の奥宮である
とあった
赤田附近のそれらしいものを探したところあったのがこの宮なのだが、周りにも文字が書かれたものは何も見当たらず、或いは三島神社(奥宮)では無いのかも知れないが?

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奥宮・概要
同一の神社に複数の社殿があり、かつ社殿と社殿の間が非常に離れていて一見すると別のものにさえみえるような場合にこの語が用いられることが多く、社殿が複数ではなく単一である、あるいは複数であっても互いに至近距離にあるような場合にはあまり用いない
使用の最も典型的な例として、山裾と山頂の二社に同一の祭神を祀る場合、山裾の神社(本社・本宮・下宮)に対して山頂の神社を奥宮・奥社・上宮という。また、元々、山頂に本殿が設けられたが、参拝に不便なため、麓に本殿を移し、旧本殿を奥宮とした神社もあり、このような場合、奥宮を「元宮」と呼ぶことがある
--引用・要約;「奥宮」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2017.08/28(月)05;08--
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三島神社(2013.10/21)



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2017.11/16(THU)

トランヴェール 会津軍、奥会津で奮闘す!




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表紙;JR只見線・第四只見川橋梁
トランヴェール 2017.November
特集
会津軍、奥会津で奮闘す!
  6.特集
   会津軍、奥会津で奮闘す!
   知られざる戊辰戦争への旅
  8.会津藩の生命線となった峠道
   頼みの長岡陥落
   会津只見に残る悲劇
 16.下野街道に会津軍奮闘の跡を追う
 22.伊南川にて西軍を討つ
   山河を揺るがす会津軍の反撃
   ・・・
--引用;トランヴェール 2017 November--
※ 記事内容の紹介は省略
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大 内 六、大内戦争(2014.12/01)
    戦死二十四人墓(2012.08/30)
    笹沼金吾墓(2017.07/07)
田 島 官軍/戦死十九人墓(2014.03/28)
    田島陣屋跡(2012.09/02)
昭和村 野村新平の墓(2013.06/09)
    會津藩戦死二人之墓(2013.06/11)
    官軍戦死九人之墓(2015.08/06)
只見町 河井継之助墓(2014.08/06)
    只見における河井継之助1(2014.08/08)
    只見における河井継之助2(2014.08/09)



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