2017.04/25(TUE)

川路大警視 彰義隊の撃滅
マツノ書店復刻版




--------------------
c0185705_15035709.jpg


目次 ※一部
第一章 少年時代と其環境
第二章 島津斉彬公の偉大なる感化と訓陶
 一、斉彬公の襲封と士民の翹望
 二、開国進取主義と富国強兵策
 三、大義名分上千古の卓識
 四、公の薨去と士民の慟哭
第三章 藩内外に於ける君の活動
 一、文久二年の上京と出府
 二、久光公の帰国と海防準備
 三、文久三年の薩英戦争と再度の上洛
第四章 王政復古と戊辰役
 一、比志島青年の指導訓練
 二、太守茂久公の上京と利良君等の従軍
 三、戊辰役と利良君等の転戦
    戊辰役の導火線
    鳥羽伏見の戦
    比志島抜刀隊の奮撃
 四、利良君東征の途に上る
    宇都宮其他の形勢視察
    江戸開城と利良君の入城

「川路大警視」マツノ書店復刻版、p.74
慶応 4年(1868)
彰義隊の撃滅
慶喜恭順の意を表するや舊幕臣の之に服せざる者相結び、彰義隊と称して上野東叡山に據り、輪王寺宮公現
法親王を奉じて、徳川氏の恢復を計る、澁澤誠一郎之が隊長たり。五月十五日、西郷南洲大村益次郎等、薩
摩、長州、肥後、備前、大村、佐土原諸藩の兵を以て東叡山に迫り一は正面の黒門口より向ひ、一は本郷湯
島台方面より背腹を衝く、・・・
--引用;川路大警視・中村徳五郎著--

    東北の転戦
    凱旋賞賜と兵具奉行の任命
第五章 明治新政と警察制度の創設
第六章 征韓論の破裂と利良君の態度
第七章 警視庁の創設と其活動
第八章 西南役と川路大警視
第九章 西南役後の大警視
第十章 大警視の餘栄遣芳
年譜
--------------------
川路大警視(2017.03/02)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.04/10(MON)

那須疏水 三島農場事務所跡(那須野が原博物館)
那須塩原市三島 5-1




--------------------
c0185705_14245302.jpg

那須疏水
 那須野が原の開拓を支えた那須疏水は、日本三大疏水(他に福島県の安積疏水・京都府の琵琶湖疏水)に数えられ、苦闘の歴史が秘められています。
 1885(明治18)年4月15日、地元の有志である印南丈作、矢板武らの努力により、烏ヶ森で那須疏水工事の起工式が行われ、5か月後の9月15日には西岩崎から千本松までの約16.3kmの本幹水路が完成し、ここ三島農場事務所前で通水式が挙行されました。
 手作業で行われた工事としては、驚異的な早さであり、そこには移住者たちの"水"への執念が感じられます。また、工事には多くの囚人たちが動員されたことも忘れてはなりません。
 翌年には第1から第4までの分水路約46.2kmが引き続き完成し、豊かな水を那須野が原にもたらしました。
 この水路は、当時の水路の3割の大きさで作られています。また、上下流の出入り口にある5角形の石積みは、当時蛇尾川を横断するときに用いたサイフォンの原理を応用した隧道(トンネル)で、五角形石積を原寸法の7割の大きさで復元したものです。
--現地の案内板から--
--------------------
那須野ヶ原の開拓(2012.11/27)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.04/09(SUN)

三島農場事務所跡 那須野が原博物館
那須塩原市三島 5-1




--------------------
三島農場事務所跡
 三島農場は、1880(明治13)年に政府から992haの貸下を受け、三島通庸の息子弥太郎の名義で鹿児島県士族など14名を同士として創設した農場です。当初肇耕社と呼ばれていましたが、1886(明治19)年三島家単独経営の三島農場(当時は三島開墾地と呼ばれていました)となりました。
 三島農場事務所は三島農場の中心の場所として、ここに建てられ、敷地内には管理者住宅や農夫舎、倉庫、水車などがありました。また、事務所の南側約149haは、ごばんの目に区画され、三島通庸が地方都市の構想を持っていたことがうかがえます。
 この三島農場事務所跡は、北北東にやや移動し、表示されています。博物館前の池や裏の土手(土塁)・ヤウラ(防風林)は当時の面影を残しています。
※ 肇耕社;ちょうこうしゃ
■三島通庸(みしまみちつね)■
1835(天保6)年、鹿児島県に生まれ、1888(明治21)年54歳で歿す。1874(明治7)年より山形県令・栃木県令(現在の知事)となり、この間道路建設に手腕を発揮し、"土木県令"の異名をとりました。その後、内務省土木局長・警視総監を歴任しました。

--現地の案内板から--


c0185705_20421578.jpg

--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.04/09(SUN)

繪事ハ精神ノ為ス業ナリ 高橋由一
那須野が原博物館(三島農場事務所跡)、那須塩原市三島 5-1




--------------------
c0185705_13473941.jpg

高橋由一像に就いて
 高橋由一は下野国旧佐野藩の出自、幕末独自の画材を開発して旧套の伝統超克を精神の常と為す。武人姿の自画像はその事始の象徴である。更に洋画塾「天絵社」創立。我国最初の美術雑誌「臥遊席珍」創刊など斬道啓蒙に奔命中の明治十三年、県令三島通庸は山県県栗子山塊の隧道八七〇メートル二年余を以て貫通という当時世界近代科学水準の偉業を挙けた。由一その豁然たる景観を見て一国文化革新の志に強く共感、爾来通庸の足跡一千キロに自らの主題を索めて多数の傑作を残した。
 日本油彩画史開祖としての高橋由一の全容は今次戦後公けの識るところとなった。が、茲にまた機縁あり。西那須野町は町開拓百年記念事業の一環として両先覚者の伝記画集一巻を著すに及び、美術界の協賛と愛好家有志多数の後援により当三島創業の起着点たる肇耕社跡地に母国初の高橋由一像を建立する。
  昭和五十七年四月十五日
     西那須野開拓百年
     高橋由一記念碑建立委員会

--現地の案内・・から--
--------------------



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.04/03(MON)

写真展 那須塩原市三島 5-1 那須野が原博物館/エントランス・ギャラリー




c0185705_14042743.jpg

--------------------
 史跡探訪を始めて5年になる。区切りとして写真展をさせて貰った

慶応四年(1868)
栃木福島の戊辰戦争史跡・写真展
・会場;那須塩原市三島 5-1、那須野が原博物館/エントランス・ギャラリー(無料)
・期間;2017年 4月 1日(土)~ 4月16日(日)※休館日;月曜日
--------------------
那須野が原博物館
c0185705_22105115.jpg

那須野が原博物館(2012.07/27)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.03/06(MON)

越ノ山風 山縣有朋公




山縣公は慎重のうえにも慎重な性格であったらしい。そんな公の著作による「越ノ山風」の一節を以下に引用してupする(5月19日、新政府軍は長岡城を落としたが追討する余裕は無かった。7月25日、一度落とした城を同盟軍に奪還されて、その時の心境等を書いたものである)

c0185705_94632.jpg

--------------------
引用(部分);国立国会図書館デジタルコレクション/陸軍省編修掛編(陸軍省編修掛、1930)
【コマ 108】
越ノ山風 自七月廿六日/至十月七日
【コマ 109】
長岡ヲ取リ返サレタルコトハ、大イニ諸藩ノ人心ニ影響ヲ及ボシ、中ニハ急使ヲ京師ニ出シテ、事変ヲ報告スベキ乎ナド、照會シ来ルモノモアリタリ、余ハ三日ノ中ニ必ス長岡ヲ恢復スヘキニツキ改メテ京師ニ報告スルノ必要ナキ旨ヲ以テ、之ヲ斥ケタレドモ、要スルニ是レ敗餘ノ人心ヲ鎮静シ、以テ神速ニ攻撃ノ画策ヲ立ツルノ決心ニ過キス、諸兵ヲ集注シ、総テノ準備ヲ為スニハ、多少ノ時日ヲ要スルコト勿論ニシテ、長岡恢復ノ困難ナルコトハ、其実余ノ頭脳ヲ苦シメツヽアリシナリ
--------------------
山縣有朋記念館(2012.11/20)
長岡城落城(2015.01/24)



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]
2017.03/02(THU)

川路大警視 中村徳五郎[著]/マツノ書店復刻版




--------------------
c0185705_20563679.jpg

川路大警視 /中村徳五郎[著]
付・大警視川路利良君伝/鈴木蘆堂[著]
維新史料出版・古書売買の「マツノ書店」さんから、予約限定復刻の案内が届いた。よく/\検討したうえで「川路大警視」のみの予約申込みをした
     *
「西南戦争」で陸軍少将を兼任。日本警察の父・川路利良を描いた稀書二点を合本復刻
--リーフレットから--
--------------------
幕末期の戦功
元治元年(1864)、禁門の変で長州藩遊撃隊総督の来島又兵衛を狙撃して倒すという戦功を挙げ、西郷隆盛や大久保利通から高く評価された。慶応3年(1867)、藩の御兵具一番小隊長に任命され、西洋兵学を学んだ
慶応4年(1868)、戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いに薩摩官軍大隊長として出征し、上野戦争では彰義隊潰走の糸口をつくる。東北に転戦し、磐城浅川の戦いで敵弾により負傷したが、傷が癒えると会津戦争に参加。戦功により明治2年(1869)、藩の兵器奉行に昇進した
--引用・要約;「川路利良」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』2017.02/21(火)23;50--



■ リンク
・so-netブログ;只今出掛ケテ居リマス

[PR]